琉球識名院とは

琉球識名院とは

琉球識名院は、琉球王朝ゆかりの地、那覇市真地に、無量寿山光明寺の沖縄別院として建立された浄土真宗の仏教寺院です。

沖縄の世界遺産群のひとつである「識名園」の正面に位置し、十間四面(1辺18メートル)の大本堂は奈良時代の寺院建築様式が取り入れられ、青空に映える赤瓦の大屋根の棟には、この寺院を護る鴟尾が金色に輝いています。堂内を支えるのは、樹齢千年を超えるカナダ檜18本の大柱で、現代の木造建築としては類を見ない、梁·内柱のない天井垂木構造を持つ重厚で美しい寺院建築です。

本堂の脇には、当寺院に縁を持たれる方々の安らぎとご供養の場として、拝所(室内墓所:琉球御廟)が併設されています。

当寺院の役割は、お釈迦様が説かれた「無上覚の悟り」の心を人々に伝え、「こころの安らぎ」を得ていただく場所であることです。
また、仏教を中核とした人々の交流の場であり、文化芸術を発信する仏教寺院として、多くの方々に親しんでいただきたいと考えています。

無量寿山光明寺について

無量寿山光明寺について

無量寿山光明寺の歴史は平安時代の延喜式神名帳に記載のある、近江の意富布良(大洞)神社にまでさかのぼることができます。その神社はいつしか神仏一体の神宮寺となりましたが、室町時代に至り本願寺第八世、蓮如上人の教化によって、神社と寺院が分離されました。
この寺院が光明寺の祖となる近江祖坊で、五百年の法統を今日に伝えています。

浄土真宗の尊いみ教えを一人ひとりに伝える活動の中から岐阜に本坊が建立され、様々な出会い、ご縁を得て、各地に別院が建立されました。

現在、京都本院の瑠璃光院、新宿瑠璃光院白蓮華堂のほか、東京町屋、千葉、埼玉、宇治に別院があり、各地域の皆さまがたに支えられ、地域の寺院として日々その役割を果たしています。

大住職の想い

 琉球識名院開院への想いは50年以上前に遡ります。先代住職(大住職)の大洞龍明が、1968年沖縄戦跡参拝のために岐阜のボーイスカウトの一団を率いて、糸満市摩文仁にある「魂魄の塔」を訪れました。その時、そこに眠る多くの失われた尊い命の話をうかがい、いつかこの地に戦争で失われた人々の供養を成す寺院を建立したいとの思いを持ちました。その後五十年の時を経て、この真地の地で寺院建立のご縁をいただくことができました。
 大住職は、残念ながら完成を目にすることはできませんでしたが、その想いを繋ぎながら、この地に永く根付く寺院となれるよう尽力して参ります

住職ご挨拶

こんにちは、琉球識名院住職の釋 龍真です。
琉球識名院は、岐阜県に本坊を置く無量寿山光明寺の沖縄別院として建立されました。お寺は敷居が高くてなかなか足を運びにくいと思っている方々にも、気軽に訪れて、仏教に親しみを持ってもらえる場にしていきたいと考えています。

仏教では、すべてのものは他のものと繋がって存在しており、自分だけで成り立っているものは一つもないということを「縁起の道理」と説いています。
これは、自分と他人、自然、地球全体、宇宙全体がすべて繋がっていて、自分はそれに支えられている存在であるということです。
琉球識名院が、貴重なご縁をいただいて、この地に開院できることに、心から感謝しています。

今後、四季折々に、大法要や文化イベント、法話会などを開催していく予定です。
皆さん、是非一度、琉球識名院に足を運んでください。

琉球識名院・伽藍の魅力

山門

山門は釘を使わず組み上げられている高さ6mの木造建造物で、基本の本柱を4つの脚柱で支える構造の「四脚門」です。

格子扉からは、閉門時にも寺内の様子を伺うことができます。無垢の木材の表面には瀟洒な彫刻が施され、屋根の琉球赤瓦の軒巴は光明寺紋型で製作(本堂屋根・鬼瓦にも採用)されています。

水盤

山門をくぐると幅6m長さ25mの水盤に、青い空と黄金の鴟尾、赤瓦の大屋根が映りこみます。古来より、水が豊かな地域であったとの伝聞から、敷地に昔からある井戸を調査したところ、豊かな水源であることが判りました。

水盤にはその冷たい井戸水が満たされています。

樹齢千年を超える大柱に支えられた本堂

先代住職が日本最古の木造建築である「斑鳩法隆寺」のように長く続く寺院をとの願いを込めて建立しました。
十間四面(一辺18m)の本堂は木造建築としては類を見ない梁・内柱のない天井垂木構造で、樹齢千年を超える18本のカナダ檜の大柱が支えています。現在では、建築用の大径樹木を準備することが容易ではなく、当寺院に必要な材木を探していたところ、偶然にもカナダ産の樹齢千年以上、直径1,000mm級の大変貴重な丸太に吉野(奈良県)の地で出遭うことができました。

先代住職自ら足を運んで、当寺院建立に使用させていただくことの理解をいただきました。このカナダ檜は米ヒバとも呼ばれ、香りも良く、またヒノキチオールというシロアリ等の害虫に対する抗菌効果が非常に高い成分が含まれており、腐りにくく耐久性も大変に優れています。本堂ではヒノキの香りがやさしく包み込んでくれます。

本堂・ご本像

ご本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に造像された4尺6寸の木像佛です。御台座は龍と麒麟の文様で透かし彫りが美しく施されています。

修復の過程で阿弥陀様の内部より鎌倉時代(1237年)に作成されたことを示す胎内文書の存在が確認されました。

本堂・内陣と外外陣

阿弥陀如来の極楽浄土を現す荘厳を施された内陣は、外陣から70cm上がった舞台様式となっており、宗教行事だけでなく伝統芸能等の公演にも利用できます。

外外陣は格(ごう)天井が施されており、参道・水盤・山門と識名園の植樹と碧い空を一堂に眺めることができます。
外廊下の軒下の化粧垂木と本堂の天井垂木は、ガラス窓を通じて連続した広がりを感じることができます。

青空に映える赤瓦と黄金の鴟尾

本堂の大屋根の美しい稜線は奈良:唐招提寺や大和西大寺などの国宝級寺院の寄棟屋根の勾配や反り等を研究し造られました。
識名園の琉球赤瓦と白漆喰を踏襲し本瓦葺きに、そして軒巴や鬼瓦には山門と同じく光明寺紋を刻印しました。寺院を護ってくれる金色の鴟尾は飛鳥時代の飛鳥寺や法隆寺金堂に在ったとされる飛鳥様式をモチーフにしています。

西側の鴟尾の腹部には先代住職が揮毫された「摂取心光常照護」との文字が、東側には琉球識名院建立発願の想いが彫りこまれています。

階段室

拝所吹き抜けの階段室には、稲嶺盛一郎氏(虹工房)が作製した琉球ガラスが施され、沖縄の海から空の景色が8枚の硝子で描かれています。

寺名石

山門の脇には先代住職様が揮毫された寺名石が置かれています。
その石(伊達冠石)は世界的彫刻家・イサムノグチを魅了したといわれ、2千万年前の火山活動から形成されたものです。鉄分を多く含むため、独特の褐色や錆色を呈する一方、内部は一様に黒檀色です。

本磨きでは光沢が強く現れ、水磨きでは奥行きある硯のような枯れた風情を帯びるため、世界中のアーティストに注目されている石です。背面には美しい龍紋が見られます。

識名の杜

古の真珠道(マダマミチ:首里城と識名園を結ぶ街道)の松並木を懐古し、南・西道路沿いには琉球松が客人を迎え入れます。寺院の結界の囲い塀には「識名歴史エリア」に相応しい琉球石灰岩を使用し、識名園の庭園の壮大な美しさにあやかった敷地南東の「識名の杜」には琉球松やガジュマル等の沖縄産樹木を植樹しました。

山門横を歩くと、庭園にはガジュマルやインド菩提樹の下にベンチが設けられ、本寺院への信者や参拝者はもとより、識名園への来訪者が気軽に立ち寄ることができる憩いの場となります。

琉球御廟

大切な人を想う気持ち……、それはいつの時代も変わりません。
特に沖縄では供養の気持ちと文化が深く結びつき、生活の中に根付いています。しかし、どうしても時代の流れにあらがうことの出来ない問題や時代の変化によって生じた悩みが生まれてきているのも事実です。

琉球御廟は沖縄の文化の匂いが色濃く残る真地・識名エリアにあります。沖縄の文化に寄り添いながら、最新のシステムを採用することによって、沖縄の人々の心に根付く供養の気持ちにこたえていきたいと考えております。

参拝時間
午前10:00~午後17:00(最終受付16:30)

琉球御廟リンク
https://ryukyugobyou.okinawa/

参拝室

琉球石灰岩をふんだんに取り入れた門型の参拝口には、沖縄の四季の情景を、朝陽から夕刻までの時の移り変りをモチーフとして、1階は海の中から水面、2階は空をテーマに、沖縄のサンゴ染職人(首里琉染)が12の場面を描きました。
また、東京の和紙職人(KAMIZM)によって青い水面や空が、美しく表現されています。

トップページ