【我慢】
【知らずに使っている仏教用語・我慢】
実は日常の中で多く使われる仏教から由来した言葉たち。
「この言葉も?!」というものも多くありますので少しずつご紹介できればと思っております。
本日の言葉は【我慢】
甘いものを食べるのを控えているのに、休憩時間に食べたくなって「我慢、我慢」と唱えているのは私だけでしょうか。現代の言葉で「我慢」は物事をこらえる、耐え忍ぶという意味で使われますよね。自分の主張を抑える立派な行いを指すと思われていますが、仏教では元々悪い意味で使われています。
本来「我慢」は、六大煩悩(貪・瞋・痴・慢・疑・見)の一つである「慢」を七つに分けた「七慢」の一つで、「自分をたのみとして他人をあなどる心、思い上った心」のことをいいます。それが、次第に強情であるという意味に転じてゆき、それが現在のような耐え忍ぶという意味の言葉となったようです。
ちなみに、「七慢」のほかの6つは
他人に対して、自分の方が優れていると思い込む「慢」
優れている人と同じぐらいに自分も優れていると思い込む「過慢」
優れている人よりも、自分はもっと素晴らしいと思い込む「慢過慢」
悟りを得ていないのに、悟ったと思い込む「増上慢」
とても素晴らしい人に出会ったときに、自分は少しだけ劣っていると思い込む「卑慢」
徳を具えていないのに、徳を持った素晴らしい自分だと思い込む「邪慢」
です。皆さんの心の中にもありませんか?
このような「慢」の心を持つことは、自分は人より優れているべき、という思い込みから、ありのままの自分を受け入れることができず、他人を見下し、周りの人も自分も苦しめることになります。
いつの間にか、「慢」が生まれてしまっているなと感じたら、人と自分を区別して自分だけを大事にしようという思い(我執)から離れ、あらゆるものが関わりあって存在しているという大きなつながり(縁起)のなかでは、すべてのものが同じよう大事であり、優劣をつけることは必要がないことに気づくことが大切です。
良寛和尚のこの言葉を思い出して参りましょう。
「おらがおらがの「が」を捨て、おかげおかげの「げ」で生きよ。」
